Esplanade Depot
黄色いタクシーに揺られて、薄明の街を進んでいく。
昼間の溢れるような人や車はどこに消えたのかと思うほどに、道路は空いている。
ハンドルを廻して窓を開け、風を受ける。土埃と露、焚き火の混じった、えもいわれぬ匂い。
帰ってきたのだ。コルカタは、ちっとも変わっていないようだった。
薄明のエスプラネード電停の広場で、タクシーを降りる。
隅の方で、焚き火を灯している少年がいた。声をかけ、揺らぐ炎を一緒に眺める。
Esplanade Depot
一時間ほどで辺りも明るくなり、人、自動車、人力車、その他あらゆる路上放置物を掻き分けて始発電車が現れた。
青と白の車体は見るからに満身創痍で、車とぶつかったであろう傷跡には瘡蓋のような錆色が浮いている。
やっとの思いで電停に滑り込んできた電車は、切符売り場と売店を兼ねた小屋の前で停まった。
運転士も車掌も、やれやれという表情で電車から降りてきて、チャイを啜る。
道中酷使されたブレーキを労うように、コンプレッサが小気味良い音を立てて回っている。
2024年12月。
コルカタトラムは、私の目の前でまだ生きていた。
Esplanade Depot, Bow Bazar
大きく溜息をついた運転士が、素焼きのチャイの器を地面に叩きつけて割る。
それから運転台に駆け上がり、ヂ・ヂ・ヂとゴングを踏み鳴らす。
試合開始だ。
モーターが唸りを上げ、電車は再び濁流のような道路に飛び込んでいく。
私もすかさずバイクタクシーを拾って、電車を追いかけ始めた。
この路面電車には、時刻表なんてものはないし、あっても誰も気にしていない。
だから、一度見つけた電車を見失ってしまうと、次に電車がいつどこに現れるか分からなくなってしまう。
Bow Bazar, College Street
朝に乗ったのと同じ黄色のタクシーが、道端で何台も並んで洗車されている。
路上市場で、天秤で野菜を量り売りする老婆。水栓で身体を洗う人力車夫。大学の前でナンを頬張る青年。野犬に牛。
それぞれの朝の傍を、電車がゆく。
車体は右へ左へと捻れ、台車が鈍い金属音を上げ、か細い集電装置が靄を切る。
我がバイクタクシーもまた健闘する。わずかな隙間があれば突っ込んでいく様は、ほとんど曲芸に近い。
おかげで電車が終点のシャンバザールに辿り着くまでに、抜きつ抜かれつ何度かの撮影チャンスを得ることができた。
Shyambazar
シャンバザールは商店街の片隅にある小さな電停で、電車が一周して向きを変えるためのループ線が敷かれている。
引き込み線もあるので、昔は車庫としても使われていたようだ。今では何両かの廃電車が放置され、辺りの住民の洗濯物干し場となっていた。
電車のコンプレッサが止まると、あとはもう鳥の囀りが聞こえるほどに静かで、表通りの喧騒からこの電停だけが切り離されたようだった。
Route #5
帰り道は、電車に乗ってみた。
窓ガラスも乗降口の扉もない車内では、窓から風が吹き込んでくるというよりも、自分が風の中を進んでいるという心地になる。
運転士は加減速を繰り返し、自動車と苛烈な進路争いを続けているが、それに身を委ねるいち乗客としては実に気楽である。
バイタクに二人乗りしている間の緊張感とは比べ物にならない。
エスプラネードに帰り着く手前では、一方通行の道を、自動車の流れと逆向きに進む。
狂ったようにゴングを鳴らしてみても、電車は少し進んでは停まっての繰り返し。
歩いた方が早いような有様で、事実乗客のほとんどは、この区間に入る手前に降りてしまう。
それでも、電車の専用帯を作るわけでもなく、かといってこの区間を廃線にするでもなく、同じことを何十年も繰り返しているのだ。
やはり、どこか底知れないところのある国である。
Vivekanand Road, Park Circus 7 Point
電車はシャンバザールとの間をもう1往復した。
それで朝のラッシュ − せいぜい立ち客が数人出る程度だが − は終わりで、電車は南の方の車庫に帰っていってしまった。
他に走っている電車はない。昼前にして運転本数ゼロの休業状態、次に電車が出てくるのは数時間後だという。
仕方がないので、エスプラネードの辺りをぶらつくと、土に埋もれアスファルトと同化しかけている軌道を見つけた。
ふと、7年前にこの街を訪れた時のことを思いだした。
あの頃はエスプラネードから、今とは別方向に向かう路線も走っていた。東の国鉄駅のほうに行く便もあったし、とにかく路線の数が多かったものだ。
もっとも、今と同じで運転頻度は低く、狙った場所で写真を撮るために何時間も待ちぼうけしたこともあったが。
Esplanade Depot
2024年末現在、電車の走っている路線は、エスプラネードを中継地点に南北合わせて10kmほど。
かつての栄華は偲ぶべくもない。
とはいえ、実にしぶとく走り続けているのもまた事実だ。
幾度となく告げられた全線廃止の期限を越えて、待っているのは静かな消滅か、燃える再起か。
長い昼休みを終えて、車庫からまた電車が出てきた。
今日もコルカタの街にはゴングが響く。
