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Steam in China

中国蒸汽
2014年〜2019年訪問

中国大陸には、未だに観光用ではない「現役」の蒸汽が生き残っている……。
そんな話を聞いたのは2014年、私が高校二年生の時だった。
その年のうちに中国に渡り、初めて己の眼で現役蒸汽を見た時の衝撃は忘れがたい。
それからというもの、時間さえあれば魅惑の大陸に渡り、風前の灯たる汽車たちの姿を追った。
10代の終わりから20代のはじめ、まさしく我が青春を捧げた中国蒸汽の記録。

2014-2017 / 芭石鉄道

四川省の芭石鉄道は、2014年の訪問当時すでに、蒸気機関車のみで運行される路線として有名だった。
新型客車による観光列車も運転されており、厳密に「現役蒸汽」だったのかと問われると怪しい。
それでも当時は、朝夕に地域輸送の列車が設定されており、マッチ箱客車は通学や行商で賑わっていた。
始発で上がってくるマッチ箱客車を狙って、峠の中腹の診療所に泊まらせてもらったことも思い出である。

2016 / 芭石鉄道

2010年代後半の芭石鉄道はとにかく勢いがあり、廃線になった他所の鉄道から蒸気機関車を買い集めていた。
そのせいか、10両近く在籍している機関車は皆C2型でこそあるものの、形態はまちまちで、その「寄せ集め」感がまた軽便鉄道らしくて楽しかったことを覚えている。
石渓の機関庫にも、整備中の機関車が所狭しと並んでいた。

いつからか蒸気機関車にガワだけ似せたディーゼル機関車が導入され、全ての列車が蒸汽牽引という奇貨を手放してしまったことは惜しまれる。

2016 / 阜新

遼寧省の阜新には、満州国時代から稼働する炭鉱があり、満鉄ミカロ型の血を引く上游型蒸気機関車が運用されていた。
ここを訪れた先人の話では、撮影していたら公安に誰何されたということもあったそうだ。ただ、私が訪問した2015~16年頃はそういったこともなく、許可証など持たずとも大体どこでも撮影させてもらえた。
乗務員詰所の近くの平安ヤードは、朝夕の勤務交代の時間に蒸気機関車が集まってくるため、定番の撮影スポットだった。

2015-2016 / 阜新

阜新の上游型たちは、逆機でズリ捨て貨車をボタ山に押し上げていく。
ボタ山から戻る際は機関車は正向きだが、空荷かつ下り坂なので煙が出ない。
そういった事情で機関車の向きには難儀したが、ロケーションとしてはボタ山や炭鉱住宅街が狭い範囲に纏まっており、歩いて回るのが楽しい場所だった。

2016 / 九台煤鉱・撫順特鋼

上游型は小回りが効いて現場から好まれたのか、阜新以外にもいくつかの炭鉱や工場で遅くまで残っていた。覚えているところだと、写真の九台や撫順のほかに、平庄、天津などである。
残っているとはいっても、せいぜい1両か2両で、阜新と比べれば稼働もごく稀であった。
訪問してみたら、給水のために庫内を一往復だけしてその日の運転は終わりだとか、そもそも動かないとか、そういう寂しい結果に終わることも多かった。

2017 / 五九煤鉱

内モンゴル自治区・牙克石の近く、五九煤鉱は、知る限り中国で最後まで上游型が運用されていた場所である。
(動態保存の遼寧省調兵山などは除くとして……)
2016~17年に訪問した段階でディーゼル機関車も導入されており、蒸汽も毎日の運用ではなかった。初回訪問時は蒸汽は車庫の中で寝ており、二度目の訪問でなんとか火の入った姿を捉えることができた。
ダブルライトや立派なナンバープレートなど物々しい出立ちの上游型1225号機は、まさに上游型の最終ランナーに相応しい勇姿だった。

2017 / 五九煤鉱

五九煤鉱に行くための国鉄線の最寄駅、烏爾其漢のあたりは、少し歩けば街の端に出てしまうような小さな村落だった。
そんな不便な場所にさしたる準備もなく訪れた私に対して、心温かく手を差し伸べてくださった炭鉱の鉄道員たちのことを、今も思い出す。

ある日、私は夕闇の向こうに消えていく蒸気機関車を見送って、さあ宿に帰ろうかとしていた。
ところが信号所の鉄道員たちが「あっちの積み込み線に行ったから、もう少し撮影していきなさい」とタクシーの手配までしてくれたのである。
その時のお礼も兼ねて2020年に再訪しようとしていたのだが、コロナ禍があり、その後蒸気機関車も引退したということで、今に至るまで訪問できていない。

2016 / 三道嶺

新疆ウイグル自治区哈密三道嶺。
天山山脈を望む、中国の西の果て。
この地に、建設型蒸気機関車の最後の聖地があるという。

ここ三道嶺で外国人が汽車を撮影するためには、現地に精通したガイドが必要とのことで、単独では訪問できずにいた。
しかし渡りに船とはこのこと、高校が早上がりの日に立ち寄った「火車撮影家集団」の写真展にて中国撮り鉄の大先輩の方々と知り合い、彼等が開催する三道嶺ツアーに加えていただけることになった。
私はずば抜けての最年少だったが、志を同じくする者として先輩諸兄のツアーの一員として迎え入れていただいたことは、今振り返っても感謝に堪えない。

2016 / 三道嶺

上游型の美点が軽快なプロポーションであるなら、力強く肩肘の張った姿こそが建設型の魅力だ。
煙突から砂箱までが一体になった「なめくじ」スタイルには、ソ連の影響も感じられる。
普通の建設型は左右に除煙板が付いているが、三道嶺の建設型にはそれがなく、無骨さを際立てていた。

2015-2018 / 三道嶺

露天鉱から駆け上がってくる建設型牽引の運炭列車。
背後には別の列車の煙も見える。
現役蒸汽がひっきりなしに行き交うだけでも当時の私には驚きだったが、かつては更に規模が大きく、写真内左側の平地も操車場だったという。

阜新などの他の拠点で蒸汽が引退する中、三道嶺はその規模を徐々に狭めつつ、2024年まで蒸気機関車を使い続けた。
最後の頃には、中国最後ということだけでなく「地球最後の現役蒸汽」などとして囃されていた。
例えばインドネシアの製糖工場では、今も操業シーズンにはファイアレス式の蒸気機関車が毎日稼働しているので、上の煽り文句には些か疑問が残る。
それでも、三道嶺の、そして中国蒸汽の終焉が鉄道史の一つの区切りであるだろうということには、私も異論はない。

私はといえば、中国の現役蒸汽なき後もその面影を追って世界を彷徨い歩いている。
旅に病んで、夢は鉄路を……。

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